明治の女流歌人・石上露子

石上露子いそのかみつゆこ、1882年ー1959年)

本名杉山孝。明治15年(1882年)、南河内一の大地主・杉山家の長女として生まれました。幼時から古典や漢籍、琴などに親しみ、二十歳頃から『明星』などに短歌,詩、小説などを発表しました。雅号は夕ちどり。

古典の教養をもとに、華麗さの中に深い憂いを漂わせた作風で評価され、富田林にいながら明治期の中央歌壇で注目を集め、明治36年に『新詩社』(明星発行の結社)の社友となり、与謝野晶子、山川登美子、茅野雅子、玉野花子とともに「新詩社の五才媛」と称されました。 旧家の家督を継ぐ運命のため、思いこがれた初恋の人に対するかなわぬ思いを詠んだ“小板橋
(下記)は絶唱と評され、石上露子の名を不朽のものにしました。

二十六歳で父親が決めた相手と結婚し、夫からは作歌活動を禁じられたため、文学界から身を引きました。後年に「明治美人伝」で紹介され、広く人と作品が知られるようになりました。 二人の息子をもうけたが、長男が病死、二男は自殺し、昭和34年(1959年)に七十八歳で死去しました。

(注: 富田林市ホームページなどから引用・抜粋しています。)

(参考)
@ 石上露子研究 (「御室みやじと石上露子」、桂重俊氏のホームページから)
A 石上露子を語る集い (地元の研究サークルのご紹介です。)
B 退屈夜話9
重要文化財・旧杉山家住宅
重要文化財・旧杉山家住宅は石上露子の生家です。
重要文化財・旧杉山家住宅
重要文化財・旧杉山家住宅
小板橋 ≪石上露子≫

ゆきずりのわが小板橋 しらしらと一枝のうばら
いづこより流れか寄りし 君まつと踏みし夕べに
いひしらず沁みて匂ひき

今はとて思いに病みて 君が名も夢も捨てむと
なげきつつ夕わたれば ああ、うばらあともとどめず
小板橋ひとりゆらめ




「明星」明治40年12月号所収

本町公園 (富田林駅から徒歩3分)
富田林駅から寺内町へ向かう本町筋の途中にある本町公園(本町交番南隣)には左記の歌が刻まれた石上露子記念碑が建てられています。また、富田林に逗留した作家・織田作之助記念碑(作品「土曜夫人」の原稿)が建てられています。

石上露子生誕120周年記念歌碑建立
地元ゆかりの富田林・寺内町に生誕120周年記念事業として、「石上露子を語る集い」が中心となって募金活動を行いながら記念歌碑建立が進められました。1882年(明治15年)6月11日の生誕日にちなんで、2003年6月8日(日)に富田林市・本町公園内で関係者により記念碑除幕式が執り行われました。


石上露子(本名: 杉山タカ)の生涯

明治15年6月杉山団郎の長女として生まれる。母ナミは祖父長一郎の実家の兄河澄雄次郎の長女で、団郎とはいとこ。小学校時代は父の養生のため船場に住む。父の病気が治ってからも、教育のためそこの留まる。小学校4年の時に富田林に戻る。旧家の長女として、京、大阪の一流の師匠について琴や和歌、日本画、上方舞など諸芸に精進し、何れも相当高い水準にあったとのこと。修行は薙刀や鎖鎌にまで及んだという。

13歳で実母と生別。継祖母、継母に囲まれて、激しい気性の露子と葛藤が生じる。16歳の時、女性家庭教師・神山薫の指導を受けることになる。18歳の時、この人に連れられて東北地方に旅行し、東京に半年ばかり滞在。この折に神山薫の縁戚にあたる長田(おさだ)家の長男で一橋高商の学生であった正平と出会う。二人は互いに心を惹かれるようになるが、それを告白することはなかった。(当時、家督相続者どうしの婚姻は難しかった。)正平はその後、カナダに渡り、51歳で亡くなるが、生涯独身であった。

明治36年、21歳の時、与謝野鉄幹が主宰する新詩社の社友になり、同社の雑誌「明星」に短歌三首を寄稿する。明治40年、「明星」に「ゆふちどり」の筆名で掲載された「小板橋」は、詩歌を愛する人々の心に長く残ることになる。

明治40年12月、旧家の重圧に抗し切れず、意に添わぬ婚礼の席につくこととなる。奈良県磯城郡川西村の片山家から婿養子縁組、夫荘平を迎える。タカ26歳、荘平29歳であった。(片山家は郡山藩の大庄屋を務め、苗字帯刀を許された家柄、大地主でもある。)
夫荘平は、自らは絵筆もとり芸術の境地を知らない人ではなかったが、妻の文筆活動には理解なく極度にこれを嫌った。勝手に新詩社への脱退届を書き、婦女新聞社への購読停止を通告する。社会との交渉を断たれ、長く不幸な結婚生活を送る身となる。(夫の器量が妻に及ばなかったからであろう。)

やがて明治43年に長男善郎、44年に長女礼子(生後1ヶ月で亡くなる)、大正4年に次男良彦が生まれる。長男善郎(京大から大学院に進む) 家督を継ぐが結核に冒され闘病生活の後、隠居し32歳で死亡。次男良彦(三高から東大)  兄の隠居により兄の養子となり、家督を相続。太平洋戦争が始まり、航空兵として北支へと召集される。敗戦後、住吉高校で社会科の講師を務める。明るく活動的な良彦氏であったが、飛行士中もノイローゼの症状が出て、周囲の者の知るところとなる。42歳で死亡(自殺)。二人の子供がいる。明治44年、父団郎の死後(享年55歳)、戸主となった荘平は親戚や別家の反対を押し切って独断で一家の経営に当たったが、株式投機で第一次大戦後の大暴落に会い、全てを投げ出し家事を顧みない人となる。強度のノイローゼで病院から浜寺へと逃避。(株投機の失敗で土地は三分の一になる。明治33年の杉山家の所有地 61町5反;約18.5万坪、内94%は田畑) 戸主を離別することは、当時法律上不可能なので、戸籍上夫婦であるという状態であった。

昭和6年から昭和20年まで夫を逃れて京都へ、京大と三高の二児に添うての仮住まい。この年から「明星」の後身「冬柏(とうはく)」に短歌の寄稿を始める。(昭和6年4月、長男が京大に、次男が三高に入学)
晩年の露子は、富田林の生家で老女中とふたりで暮らす。昭和34年10月、78歳の生涯を閉じる。

本町公園の石上露子の歌碑(平成15年6月8日除幕式) 日露戦争中の作品で反戦を歌ったもの。

「みいくさにこよひ誰が死ぬさびしみと髪ふく風の行方見まもる」

戦争のために今日も罪の無い多くの人々の生命が失われていく、なんとも理不尽なことであろう。戦死してゆく人達の親を,妻を,子を思い、また国の行末を思いみるとき、言い切れぬ深い不安と悲しみ、さびしみに襲われる。

(じないまちボランティアガイド・長谷英男氏資料から引用させて頂きました。)    
                                                                        

石上露子を偲ぶ着物展(特別公開は終了しました)

2003年6月4日(水)から29日(日)まで、寺内町センターで石上露子生誕120周年を記念して、「石上露子を偲ぶ着物展」が開催され、生前に着用していた幻の訪問着3点が特別展示・公開されました。また、6月15日(日)午前11時と午後3時の2回、地元のお住まいで「石上露子を語る集い」代表・芝昇一様による着物の解説が行われました。(注: 寺内町ご訪問者及び富田林市社会教育部文化財保護課より情報提供を頂きました。厚く御礼申し上げます。)

じないまち文学散歩

「石上露子」に関わる書籍もたくさん出版されています。富田林市立中央図書館や地元・富田林駅前の本町商店街・芦田書店には地元ゆかりの「石上露子」の書籍が多く取り揃えてあります。芦田書店の店頭でないと手に入らない書籍(下表参照)もいくつかあります。富田林・寺内町散策の際にちょっと立ち寄って見てはいかがでしょうか?

寺内町散策地図 (富田林駅から寺内町へ)

富田林市寺内町ガイド
石上露子に関わる書籍 ≪富田林市立中央図書館の書棚から≫

中央図書館・中央公民館(近鉄富田林駅から徒歩約5分)

「郷土史資料」・「石上露子」に関するコーナー

「石上露子」に関する図書が多く集めらています。
書籍名 著者・編者 出版社
論集 石上露子 松本和男編著 中央公論事業出版 左上写真中の書棚左端の書籍
石上露子をめぐる青春群像()() 松本和男編集・発行 私家版限定200部 左上写真中の書棚左端から2番目の書籍
評伝石上露子 松本和男/著 中央公論新社 左上写真中の書棚左端から3番目の書籍
菅野スガと石上露子
おおさか人物評伝
大谷渡/編 東方出版 左上写真中の書棚左端から4番目の書籍
石上露子集 石上露子著 松村緑編 中央公論社 (中公文庫)
夕ちどり-忘れられた美貌の歌人・石上露子 碓田のぼる/著 ルック社
石上露子全集 大谷渡/編 東方出版
河内望郷歌 佐々木幹郎/著 五柳書院
鈴木鼓村と石上露子 青園謙三郎編  福井テレビジョン放送、1984年
物語女流文壇史(上)・() 巌谷大四著 中央公論社 昭和52年(1977年)刊

底のぬけた柄杓 ある女人像 吉屋信子全集11

吉屋信子 朝日新聞社 昭和50年(1975年)刊
与謝野鐵幹・与謝野晶子集 附明星派文學集 (石上露子編) 明治文学全集 筑摩書房
『明星』における進歩の思想 碓田のぼる著 青磁社 昭和55年(1980年)刊
露の舞 〜私の石上露子と織田作之助〜 富田林ゆかりの人 北沢紀味子著 千鳥社
富田林市不動ヶ丘町15−9
1992年11月初版

「小板橋」〜「石上露子を語る集い会」月次会報

「石上露子を語る集い」 バックナンバー・ファイル(書架に常設)
郷土史に関わる書籍 ≪富田林市立中央図書館の書棚から≫
書籍名 著者・編者 出版社
「とんだばやし歴史散歩」 祢酒太郎著・発行  祢酒太郎 1976年刊(蔵書タイトルコード 5010001406)
「地域概念の変遷」
(第2部文化財保存 富田林・寺内町保全の問題点)
祢酒太郎著・大阪歴史学会・地方史研究協議会編 雄山閣出版 1975年刊 (蔵書タイトルコード 9810093301)
芦田書店 ≪小さな本屋で親切がモット‐≫

石上露子に関する書籍が多く品揃えされている地元書店です。

「石上露子集」(松村緑編、中公文庫版)の復刻印刷版が、2004年8月から石上露子生誕地である地元・富田林市の芦田書店で限定(増刷)販売されています。(1冊 540円)

中古書店でもこれまでなかなか手に入らなかった方には絶好の機会ですので、芦田書店までお問合せ下さい。

〒584−0094 富田林市本町14番13号
電話 0721−23−2816
 (近鉄長野線・富田林駅前・本町商店街、駅から徒歩1分)  

         a-book@leto.eonet.ne.jp


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